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藤田 嗣治(ふじた つぐはる、Leonard FoujitaまたはFujita, 男性, 1886年11月27日 ? 1968年1月29日)は東京都出身の画家・彫刻家。現在においても、フランスにおいて最も有名な日本人画家であり、明治以降の日本人芸術家で藤田嗣治ほどの成功を海外で収めたものは他にいない。猫と女を得意な画題とし、日本画の技法を油彩画に取り入れつつ、独自の「乳白色の肌」とよばれた裸婦像などは西洋画壇の絶賛を浴びた。エコール・ド・パリ(パリ派)の代表的な画家である。
1955年にフランス国籍を取得(その後日本国籍を抹消)、1957年フランス政府からはレジオン・ドヌール勲章シュバリエ章を贈られ、1959年にはカトリックの洗礼を受けてレオナール・フジタとなった。
彼の作品は東京のブリヂストン美術館や青山ユニマット美術館、秋田の平野政吉美術館で見ることができる。晩年に手がけた最後の大作は、死の直前に書き上げたランスの教会における装飾画である。
また、多くのエッセイを書き残している。彼の芸術に対する考え方、人生に対する取り組み方が興味深い。 死の直前までノートに書かれたモノローグは『腕一本・巴里の横顔(講談社文芸文庫)』に収められている。「みちづれもなき一人旅 わが思いをのこる妻に残して。 1966年9月28日」
968年1月29日にスイスのチューリヒにおいてガンのため死去した。遺体はパリの郊外、ヴィリエ・ル・バクル(Villiers-le-Bacle)に葬られた。 死後、日本政府から勲一等瑞宝章を追贈されている。
戦争画
戦時中日本に戻っていた藤田には、陸軍報道部から戦争記録画(戦争画)を描くように要請があった。国民を鼓舞するために大きなキャンバスに写実的な絵を、と求められて描き上げた絵は戦場の残酷さ、凄惨、混乱を映しており一般に求められた戦争画の枠には当てはまらないものだった。しかし、彼はクリスチャンの思想を戦争画に取り入れ表現している。
戦後になり、日本美術会などにより半ば生贄に近い形で戦争協力の罪を非難された彼は、渡仏の許可が得られると「日本画壇は早く国際水準に到達して下さい」との言葉を残してパリへ向かい二度と日本には戻らなかった。フランスに行った後、「私が日本を捨てたのではない。日本に捨てられたのだ」とよく藤田は語った。その後も、「国のために戦う一兵卒と同じ心境で書いた」のになぜ非難されなければならないか、と手記の中でも述べている。
パリでの成功後、そして戦後と、生前の藤田はついぞ日本社会からは認めてもらえなかった。近年になってようやく藤田の回顧展が日本でも開かれるようになった。
乳白色の肌の秘密
藤田は絵の特徴であった『乳白色の肌』の秘密については一切語らなかった。近年、絵画が修復された際にその実態が明らかにされた。藤田は、硫酸バリウムを下地に用い、その上に炭酸カルシウムと鉛白を1:3の割合で混ぜた絵具を塗っていた。炭酸カルシウムは油と混ざるとほんのわずかに黄色を帯びる。これが藤田の絵の秘密であった。
さらに、面相筆の中に針を仕込むことにより均一な線を描いていたことも修復により判明した。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
